あまちゃんのドラマには 80年代のアイドルたちが
元ネタになってる
元アイドルで女優役の 薬師丸ひろ子
元ヤンキーでアイドル志望だった キョンキョン
最近明菜ちゃんが 意味深なメッセージをしてたけど
ここに来て 80年代がフューチャーされて
それが高視聴率をマークするのは
まるで最後の 燃え尽きる前のあだ花のようであり
戦争犯罪人を晒して 公開処刑を行っているようでもあり
マイクから飛び出た銃弾で プロデューサーは頭を打たれた
薬師丸ひろ子の あの透明感のある歌声が
とても好きで 実は彼女は ユーミンの大ファンみたいで
あの高音をキープする歌い方は
ユーミンの影響だったよう
子供の頃はとても怖くて観れなかった
Wの悲劇を 初めて観た(サスペンス映画だと想ってた)
血のりの付いたナイフを手に
殺してしまった! と叫ぶアイドルの姿は
子供の私には ホラー以外の何物でもなく
80年代のあのお祭り騒ぎの 一翼を担った
角川映画のやり方が 好きじゃなかったから
興味もなかった
薬師丸ひろ子の映画なのに
三田佳子の美しさに 惚れ惚れしながら
女優の顔って こうだよね~
キャラ顔の薬師丸ひろ子が
可愛そうなぐらいで
私にはこの映画が 三田佳子の
女優がどうやって生まれるのか
少女が 芝居のために女になって
全ての業を飲みこんで 女優になって行く
その姿を描いた映画に 想えた
昔はアイドルと 女優が
きちんと棲み分けされていて
それぞれの役割が 任されていた
同じ民族とは想えないほどw
顔もスタイルも まったく違う
女優の顔は 遊女の顔で
アイドルの顔は 巫女の顔
女優は体で演技する
遊女と同じように 顔だけでなく体
背は少し高め
アイドルはマスコットのように
顔が強調されて 背は小さくなる
下手なアイドル 下手な女優というのは
下手な巫女 下手な遊女と言ってるようなもの
エネルギーを乗せきれていない
お人形として 器として 失格
本物ほど 時代を変え 流行を作り出す
力を持っている
明菜ちゃんは 歌だけじゃなくて 踊りがうまい
明菜ちゃんの踊りは 手足が滑らかに動いて
指先まで エネルギーが 流れていて
まるで空間を編むように 体を動かすの
振り付けは 歌に合わせて 自然と体が動いたもの
そう言っていた
まるで巫女のような舞
鳥が空を舞っているよう
ダンスというより 踊りというより 舞
Wの悲劇が面白かったので
野生の証明を観た
この映画がまさか 私にとって
メッセージになるとは 想いもしなかった
いつものように華麗にネタバレします・・・
東北の 福島のとある集落で起きた虐殺事件
その時山中にこもっていた レンジャーがいた
12人が殺され たった一人生き残った少女が
薬師丸ひろ子
その後彼女には 予知能力が芽生えてしまう
地獄を見た生存者が 霊感に目覚めるのは
ショックによってではなくて
生存者に 死者のエネルギーが
たくさん乗るからかもしれない
これは映画の中の 架空の話だけど
彼女のデビュー作であったこの設定は
薬師丸ひろ子に その後アイドルとして
大きなエネルギーを集めさせたような気がする
この映画を今まで観ようとしなかったのは
角川映画というせいもあるけど
ラストの自衛隊に追われるシーンで
たった一人のレンジャーを仕留めるのに
あれだけ大量の戦車やヘリを使って 爆撃するのはおかしい
現実離れし過ぎ
そんなレビューが多かったからで
好きでもない戦闘シーンで興ざめするくらいなら
観ても仕方ないと想っていたから
この映画は 1978年に公開され
時代的なものもあるのか
自衛隊を敵に回した 想いっきり左翼的な 映画になっていて
逆に今こんな映画を取ったら 相当なバッシングだろうから
日本は今 想いっきり右翼化しているんだなと想った
自衛隊が 演習と称して
主人公たちを追い詰めていくシーンは
何も知らない人には 滑稽に
無理があるように見えるけど
私は日航機の御巣鷹山事件を調べたときに
自衛隊の闇を覗いてしまったから
内部犯行をもみ消すためなら 隊員ですらも
自殺者扱いで 大量に消してしまうぐらいだから
消したい人物を演習に紛れ込ませて
実戦さながら 追いつめても
不思議に想わなかった
むしろ日々実戦に備えて 訓練している者たちにとって
実戦を実践できる機会は 大義名分は
この上なく 有難いもので
喉から手が出るほど欲しいもの
多分 本場のゲリラ戦を想定して
特殊部隊を鍛えるために 違反者や除隊者を
山や野に放して 実戦の訓練に使って
自殺扱いにしても 不思議じゃない
ゴルゴの世界が 全く嘘でもないように
自衛隊の特殊部隊の様子がよくわかるこの映画は
とっても面白かった
平和な時代だったからこそ
御巣鷹山の事件が起きる前だったからこそ
こんな映画が撮れたはず
映画はこうやって 昔から
やがて起きる何かを 見せているのかもしれない
舞台は福島の 架空の町
街中を映したあるシーンで 息をのんだのは
先週見た夢のシーンと そっくりな場面があったから
満月の夢
http://kokuyousekinoyume.blogspot.jp/2013/09/blog-post_22.html
何気ない 特に意味のないシーンなんだけど
目の前を車が通るのも 同じシチュエーション
軽い予知夢のようなものかもしれない
でも 映画のワンシーンが
その数日前に夢の中で
とても大きな存在感を持って 現れたのはなぜだろう
お父さんこわいよ 何か来るよ
大勢でお父さんを殺しに来るよ
映画のCMのキャッチコピー
心がぞわぞわする
とても話題になったそうだ
集落の大虐殺の事件で 自衛隊のレンジャーの主人公が
まるで真犯人のようなストーリーだったのは
あれは 自衛隊=征服者のイメージを重ね合わせていて
大勢で殺しに来るよ
そのメッセージは
古代に たくさんの征服者たちが襲ってきて
たくさんのこの島の住民が殺された
この島の集落で起きた光景を 浮かび上がらせる
CMのセリフが 強烈なのは
その恐怖を 古い記憶に 訴えていて
舞台は東北で 薬師丸ひろ子は
まるで原住民の子供みたいに 濃い髪の毛とまつ毛に
黒い肌をしている
福島から 千葉の海に 親子で逃げようとする
千葉の海ではしゃぐ 少女の姿
叶えられなかったシーンが エンディングに流れるのは
遠い昔に 千葉の海で
東北に追いやられる前まで
この島の子供たちが 楽しく暮らしていた
そんな記憶を 伝えているのかもしれない
少女を守る 正義の味方は
みな犠牲になってしまうのに
悲壮感が沸かないのは 爽快な気持ちで見終えたのは
巨大な権力に 一矢報いることができたから
愛のために 弱いものを守るために
戦うとき
人には大きな護りが 後ろについて
とても大きな愛に 包まれるから
後ろの護りが 味方につくほど
きっと早く生まれ変わることができる
だから悲しみよりも どこか
晴々とした気持ちに なったのかもしれない
2013年9月28日土曜日
2013年9月22日日曜日
満月の夢
私は夢の中で
薄いサーモンピンクの服を着て
縁日のようなところにいた
今を時めく 男性芸人が
ちらちらこちらを見ている
場面は変わって
ヒマラヤ登山の 入口のような所にいる
氷山の 青い氷の前
まるでNHKのセットのような感じ
現実感がない
学校の遠足のように 大人が集められている
薄い髪の毛を長く垂らした 女優の
あさのあ○こが 膝を抱えて
入り口の側に 座っている
よく想いだせないけど
彼女は 足元に 縁日のように
登山に必要なセットを 並べていて
売っていた
それが手に入らないと ヒマラヤ登山に行けない
チベット仏教に 入れないとかなんとか
私はお金がなくて 手に入れられない
彼女はじろっと 上目づかいで私を見上げたまま
お金がないならダメだよ あきらめな
そんなことを言われた
私はそこから
日本に戻っている
明るく晴れた大きな空 どこかCGのような世界
スピードを出して 町を走っている
賑やかな町は 町全体が 成人式だった
町の人が全員 成人式を迎える
女の人は皆 カラフルな振袖姿
ほら 町の建物も 全部ピカピカ
新しくなってる
そんなことを 助手席の 戌年生まれの友達に
話している
三叉路にぶち当たったとき
その真ん中の建物だけ
3階建ての 古びた木造旅館のようだった
これだけまだ ぼろぼろのまま 残ってる
他は全部新しくなっている
町は成人式を迎える人でいっぱい
下り坂に来て 高架下を抜けようとするとき
私も成人式をやらなきゃいけない
二十歳のときにやらなかったから
(やったんだけどね)
40になるとき やらなきゃいけない
そう友達に 話したとき
ああこの町は 式年遷宮の
夢殿の中なんだ
そう気づいて
目が覚めた
前回の式年遷宮は1973年で
この年生まれの人が今年40になる(私は違う)
丑年生まれのこの年の人たちが生まれた時も二十歳の時も
式年遷宮が行われた
日本人の人口では団塊以後一番人数が多い生まれ
あさのあ○こが出て来たのは
彼女は神社を舞台にして神話の読み聞かせをしている
彼女は夢殿の使い
ヒマラヤの青い氷の入り口にいた
夢殿の入り口にいるのはいつも婆
墓標や仏塔を卒塔婆というのは
夢殿の護り人
入り口にいるのはオババだから
今式年遷宮の真っただ中
古くてボロい建物を中心に一つ残して
夢殿の中を新しくしている
1973年生まれの人たちは
成人式と称してこの儀式に20年毎に参加させられている
真黒く焼けた3階建ての古い木造建築
式年遷宮で新しく立て直しても
中心となっている何かはずっと残している
それが軸になっている
そんな何かがあるのかもしれない
それとももう中心は真っ黒く焼け焦げていて
新しくしたものはハリボテに過ぎないのかもしれない
3階建ての木造建築は
道後温泉の旅館に似ていたような
谷中の町家に近いような
こんな感じだけど
窓もない全部板張りだった
まるで漆を塗ったように真っ黒に焦げていた
薄いサーモンピンクの服を着て
縁日のようなところにいた
今を時めく 男性芸人が
ちらちらこちらを見ている
場面は変わって
ヒマラヤ登山の 入口のような所にいる
氷山の 青い氷の前
まるでNHKのセットのような感じ
現実感がない
学校の遠足のように 大人が集められている
薄い髪の毛を長く垂らした 女優の
あさのあ○こが 膝を抱えて
入り口の側に 座っている
よく想いだせないけど
彼女は 足元に 縁日のように
登山に必要なセットを 並べていて
売っていた
それが手に入らないと ヒマラヤ登山に行けない
チベット仏教に 入れないとかなんとか
私はお金がなくて 手に入れられない
彼女はじろっと 上目づかいで私を見上げたまま
お金がないならダメだよ あきらめな
そんなことを言われた
私はそこから
日本に戻っている
明るく晴れた大きな空 どこかCGのような世界
スピードを出して 町を走っている
賑やかな町は 町全体が 成人式だった
町の人が全員 成人式を迎える
女の人は皆 カラフルな振袖姿
ほら 町の建物も 全部ピカピカ
新しくなってる
そんなことを 助手席の 戌年生まれの友達に
話している
三叉路にぶち当たったとき
その真ん中の建物だけ
3階建ての 古びた木造旅館のようだった
これだけまだ ぼろぼろのまま 残ってる
他は全部新しくなっている
町は成人式を迎える人でいっぱい
下り坂に来て 高架下を抜けようとするとき
私も成人式をやらなきゃいけない
二十歳のときにやらなかったから
(やったんだけどね)
40になるとき やらなきゃいけない
そう友達に 話したとき
ああこの町は 式年遷宮の
夢殿の中なんだ
そう気づいて
目が覚めた
前回の式年遷宮は1973年で
この年生まれの人が今年40になる(私は違う)
丑年生まれのこの年の人たちが生まれた時も二十歳の時も
式年遷宮が行われた
日本人の人口では団塊以後一番人数が多い生まれ
あさのあ○こが出て来たのは
彼女は神社を舞台にして神話の読み聞かせをしている
彼女は夢殿の使い
ヒマラヤの青い氷の入り口にいた
夢殿の入り口にいるのはいつも婆
墓標や仏塔を卒塔婆というのは
夢殿の護り人
入り口にいるのはオババだから
今式年遷宮の真っただ中
古くてボロい建物を中心に一つ残して
夢殿の中を新しくしている
1973年生まれの人たちは
成人式と称してこの儀式に20年毎に参加させられている
真黒く焼けた3階建ての古い木造建築
式年遷宮で新しく立て直しても
中心となっている何かはずっと残している
それが軸になっている
そんな何かがあるのかもしれない
それとももう中心は真っ黒く焼け焦げていて
新しくしたものはハリボテに過ぎないのかもしれない
3階建ての木造建築は
道後温泉の旅館に似ていたような
谷中の町家に近いような
こんな感じだけど
窓もない全部板張りだった
まるで漆を塗ったように真っ黒に焦げていた
暦の上では
この数日 おかしな夢を見ていたのは
式年遷宮のさなかの 中秋の名月だったせいかもしれない
赤く光る おおきな満月
東京五輪が決定したせいかもしれない
二日続けて イギリスが出てくる夢をみた
一つはなぜか 両親がイギリス旅行から帰って来た夢
まるでイギリスにも拠点があるように
どっかのセレブみたいに
またイギリスから帰って来て~
あんたはちょっと早すぎた 時代が追いついていない
イギリスに行ってわかった
そんなことを話している夢
もうひとつは
私がイギリスの田舎町に 帰って行く夢
まるで故郷に錦を上げるように
町の人気者が 凱旋したかのように
私は イギリスの田舎
多分 スコットランドの方に 帰ることになっている
そして帰るのを戸惑っている
自分の特別扱いに
そんなことを気にするなと 誰かがいう
誇らしいことなのだから
そうだね
町のメインロードは 車で渋滞している
人気者に会うために 皆が押しかけている
私はその中の一台 古い英国車の
後部座席の扉を開けて 中に入る
運転席には イギリス人のボーイフレンドがいて
久しぶりに会う彼に ハグをするんだけど
その顔の 前歯が 4本しかなくて
すきっ歯の口から覗かせる
黒い闇に 驚いて
彼じゃないと気づいた
ぼんやりと夢だったと気づいたとき
起きた後か 夢の中でかは覚えてないけど
東京五輪が決定して
外国人の関心が 日本に集まるようになったから
夢の中まで入って来た
なんとなく そう想ったのを覚えている
東京五輪が決定して
想念の世界で
外国の日本への関心が夢の中で始まった気がする
日本人の想念(夢)の世界へ
外国人が侵入してくる
夢の中で私がイギリスの人気者だった設定や
私が早すぎたとかの話は
多分クール・ジャパンのことで
今日本のカルチャーが海外で人気であること
日本女性が巫女扱いされているのを意味している気がした
ネットしか娯楽がないような片田舎
文化の中心から外れた所ほど
日本のカルチャーが浸透しているような気がする
そういえば英国車の中のボーイフレンドは
目を見開いてキョドってて
すごいオタクっぽかった
これからどんどん想念や夢の世界で
外国人や外国のエネルギーが侵入してくる予感
日本に熱い視線が注がれ
アンゴルモアの第三の時代
東京五輪まで
日本を持ち上げる時代が始まった気がする
血筋ドラマあまちゃんに出てくる歌
「暦の上ではディッセンバー」
このドラマは春夏のクールなのに
なんでタイトルが真冬なのがずっと気になっていた
「暦の上では」というのは
時の結界を意味していて
このタイトルのメッセージは
今が「冬至前」
終わりの時期、始まりの前だよってことなのかも
そういえばイギリスロンドンにある時計塔
グリニッジ天文台
イギリスは世界の時計の標準時
現代の時の結界の中心
グリニッジ世界標準時の時報が始まったのは
1924年
甲子の年
どういうわけか60年ある十干十二支の
一番最初にくる甲子の年
まるで合わせたようにこんな偶然があるなんて
ちなみにこの年日本でもメートル法が採用された
ディッセンバー(12月)は干支では子
時計の一番上にあるのが1じゃなくて12なのは
キリストや天皇誕生日が12月にあるのは
時の結界の始まりはここからということかな
1924年の60年後
つまり次の甲子の年、時の結界の始まりは1984年
イギリスの作家オーウェルの近未来を描いた小説も「1984」
村上春樹の小説でも
自然のサイクルは秋から始まり
夏に終わる
だから伊勢神宮の式年遷宮は秋に行われる
終わりの季節が一番明るいのは
燃えるように熱いのは
終わりとは燃え尽きることだから
燃え尽きて落ちるとき
始まる
秋がfallなのは枯葉が落ちる季節だからと習ったけれど
本当は真夏の果実が落ちるとき
秋が始まるからかもしれない
枯葉が落ちるころには
冬が始まるから
昔オーストラリアに旅行したとき
旅仲間からミサンガを教えてもらった
あまちゃんでは復興の手助けとして
漁師網でミサンガを作るけど
あんな鋭い網じゃとても痛くて作れまい
腕にはめることなんてできないだろう
そんな突っ込みを心の中でしながら
「絆」というスローガンにかこつけて
被災地で作ったミサンガを配るのは
まるで腕に手錠を嵌められるようで
ゾっとした
今日見た夢の中でユイちゃんが出てきた
場所は銭湯のようなところ
ピンクと薄い緑のタイル
ちょっと変わったところで
ユイちゃんが体を洗っている
なぜか真黒い髪に浅黒い肌をして
原住民のようだった
湯船に入る前に体を流しているところで
目が覚めた
また夢殿に誘われたのかな
あのドラマは視聴者の夢をミサンガで繋げていたのかもしれない
古い記事ですがこんなのを見つけました
ゆず“冬至の日ライブ”を福島で開催。500人に笑いと涙と元気届ける。
未来の天皇と同じ名前を持つ片方は
実家が新興宗教の教祖
冬至の意味を知ってるんだろうな
「ゆず」って
柑橘類は古い血筋の証だし
「ユダヤ」のゆに、「巣」の濁音
曲げて集める人たちなのかな
よく聴いてたんだけど
この人の笑顔が苦手だった
半○直樹の人と同じ笑み
笑っていないのに笑っている目
だから大人気ドラマだけど私は見ていない
(一度でいいから見たかった・・・)
能面と同じで貼り付いた笑顔は笑顔じゃない
ちょっと極端な話で驚かないでほしいんだけど
人を殺そうとするときも人は笑うんだよ
(ああそういえばゆずの人はコンクリ事件の映画に出ていたっけ)
古い血筋の人たちやラスボスには
そういう顔をしている人たちもいるかもしれない
式年遷宮のさなかの 中秋の名月だったせいかもしれない
赤く光る おおきな満月
東京五輪が決定したせいかもしれない
二日続けて イギリスが出てくる夢をみた
一つはなぜか 両親がイギリス旅行から帰って来た夢
まるでイギリスにも拠点があるように
どっかのセレブみたいに
またイギリスから帰って来て~
あんたはちょっと早すぎた 時代が追いついていない
イギリスに行ってわかった
そんなことを話している夢
もうひとつは
私がイギリスの田舎町に 帰って行く夢
まるで故郷に錦を上げるように
町の人気者が 凱旋したかのように
私は イギリスの田舎
多分 スコットランドの方に 帰ることになっている
そして帰るのを戸惑っている
自分の特別扱いに
そんなことを気にするなと 誰かがいう
誇らしいことなのだから
そうだね
町のメインロードは 車で渋滞している
人気者に会うために 皆が押しかけている
私はその中の一台 古い英国車の
後部座席の扉を開けて 中に入る
運転席には イギリス人のボーイフレンドがいて
久しぶりに会う彼に ハグをするんだけど
その顔の 前歯が 4本しかなくて
すきっ歯の口から覗かせる
黒い闇に 驚いて
彼じゃないと気づいた
ぼんやりと夢だったと気づいたとき
起きた後か 夢の中でかは覚えてないけど
東京五輪が決定して
外国人の関心が 日本に集まるようになったから
夢の中まで入って来た
なんとなく そう想ったのを覚えている
東京五輪が決定して
想念の世界で
外国の日本への関心が夢の中で始まった気がする
日本人の想念(夢)の世界へ
外国人が侵入してくる
夢の中で私がイギリスの人気者だった設定や
私が早すぎたとかの話は
多分クール・ジャパンのことで
今日本のカルチャーが海外で人気であること
日本女性が巫女扱いされているのを意味している気がした
ネットしか娯楽がないような片田舎
文化の中心から外れた所ほど
日本のカルチャーが浸透しているような気がする
そういえば英国車の中のボーイフレンドは
目を見開いてキョドってて
すごいオタクっぽかった
これからどんどん想念や夢の世界で
外国人や外国のエネルギーが侵入してくる予感
日本に熱い視線が注がれ
アンゴルモアの第三の時代
東京五輪まで
日本を持ち上げる時代が始まった気がする
血筋ドラマあまちゃんに出てくる歌
「暦の上ではディッセンバー」
このドラマは春夏のクールなのに
なんでタイトルが真冬なのがずっと気になっていた
「暦の上では」というのは
時の結界を意味していて
このタイトルのメッセージは
今が「冬至前」
終わりの時期、始まりの前だよってことなのかも
そういえばイギリスロンドンにある時計塔
グリニッジ天文台
イギリスは世界の時計の標準時
現代の時の結界の中心
グリニッジ世界標準時の時報が始まったのは
1924年
甲子の年
どういうわけか60年ある十干十二支の
一番最初にくる甲子の年
まるで合わせたようにこんな偶然があるなんて
ちなみにこの年日本でもメートル法が採用された
ディッセンバー(12月)は干支では子
時計の一番上にあるのが1じゃなくて12なのは
キリストや天皇誕生日が12月にあるのは
時の結界の始まりはここからということかな
1924年の60年後
つまり次の甲子の年、時の結界の始まりは1984年
イギリスの作家オーウェルの近未来を描いた小説も「1984」
村上春樹の小説でも
自然のサイクルは秋から始まり
夏に終わる
だから伊勢神宮の式年遷宮は秋に行われる
終わりの季節が一番明るいのは
燃えるように熱いのは
終わりとは燃え尽きることだから
燃え尽きて落ちるとき
始まる
秋がfallなのは枯葉が落ちる季節だからと習ったけれど
本当は真夏の果実が落ちるとき
秋が始まるからかもしれない
枯葉が落ちるころには
冬が始まるから
昔オーストラリアに旅行したとき
旅仲間からミサンガを教えてもらった
あまちゃんでは復興の手助けとして
漁師網でミサンガを作るけど
あんな鋭い網じゃとても痛くて作れまい
腕にはめることなんてできないだろう
そんな突っ込みを心の中でしながら
「絆」というスローガンにかこつけて
被災地で作ったミサンガを配るのは
まるで腕に手錠を嵌められるようで
ゾっとした
今日見た夢の中でユイちゃんが出てきた
場所は銭湯のようなところ
ピンクと薄い緑のタイル
ちょっと変わったところで
ユイちゃんが体を洗っている
なぜか真黒い髪に浅黒い肌をして
原住民のようだった
湯船に入る前に体を流しているところで
目が覚めた
また夢殿に誘われたのかな
あのドラマは視聴者の夢をミサンガで繋げていたのかもしれない
古い記事ですがこんなのを見つけました
ゆず“冬至の日ライブ”を福島で開催。500人に笑いと涙と元気届ける。
未来の天皇と同じ名前を持つ片方は
実家が新興宗教の教祖
冬至の意味を知ってるんだろうな
「ゆず」って
柑橘類は古い血筋の証だし
「ユダヤ」のゆに、「巣」の濁音
曲げて集める人たちなのかな
よく聴いてたんだけど
この人の笑顔が苦手だった
半○直樹の人と同じ笑み
笑っていないのに笑っている目
だから大人気ドラマだけど私は見ていない
(一度でいいから見たかった・・・)
能面と同じで貼り付いた笑顔は笑顔じゃない
ちょっと極端な話で驚かないでほしいんだけど
人を殺そうとするときも人は笑うんだよ
(ああそういえばゆずの人はコンクリ事件の映画に出ていたっけ)
古い血筋の人たちやラスボスには
そういう顔をしている人たちもいるかもしれない