2012年6月24日日曜日

海を探す

夢で見た光景に注意を払う人はほとんどいない。日々の生活が忙しくて、夢の世界のことなど構ってられない人がほとんどだろう。私のようなオカルト好きな暇人でもない限りw

でももし時間があるなら、興味があるなら、夢で起きたことを心に留めておいてほしい。起きた時にメモったり、通勤通学途中で反芻してみたり。夢の意識は目覚めたときに終わりではないのだ。目が覚めても夢の世界の意識は続いている。ただ表に現れてこないだけ。

おかしな光景を見たな、と想ったら、それは貴重な情報だったりする。なんとなく印象的な夢だったら、それをネットで画像検索かけてみるといい。ググっていると、だんだん夢を見た時の意識が蘇ってくる。そこでまた夢の世界の細部が明らかになったりする。ネットは電波だから、それを夢の意識に対して扱うことによって、通すことによって、より鮮明にその世界を見ることができるのだ。

私がブログで書いているものは、夢を見た後数日経って書き始めたものもある。どうしても記事に値するものとは想えなかったからだ。そんな夢でも、PCで書き始めてついでに画像を探してみると、その夢のメッセージが見えてくる。ようやくそこで夢の意味がわかってくることも多い。

夢というのは必ず何らかの意味があるそうだ。だけどそれがただの夢だと想われるのは、ほとんどの夢が夢を見たときにはその意味がわからないせいらしい。

夢日記をつけている人はいると想うけど、その夢のイメージについてネットで探す人はあまりいないかもしれない。
夢は書いただけでは、もちろん書かないよりマシだけど、その夢が何を教えてようとしているかを知ることが大事だと想う。そしてそれは難しいように想えて、ネットというツールによって、どんどん簡単になっている。

起きているときも夢を見たときの意識は意識下で流れている。PCやネットを通してその夢の意味を探っているとき、再びその夢を見たときの意識に潜っている。今度はより意識を保って、明晰夢よりも客観的にその世界の象意にアクセスすることができる。

そうやって夢の意識を想い出しながら反芻していると、これはもしかして自分で創作しているのかも?と想うときもあるだろう。夢の続き、夢の細部を自分に都合のいいストーリーで作り上げていないか?と。

でも、そこに意図的なものがない限り、その創作すらも何かしらのインスピレーションに基づいていて、そのアイディアは夢と同じように潜在意識から降りてきたものだといえないか。そこに余計な意図を挟まなければ、起きているときの創作も寝ているときの夢の中の出来事も、同じようにある意識がもたらす創作であることに変わりはないと想う。優れた芸術家は優れた予言者でもあるように、創作物というのは夢ととても近い次元にあるものだと想う。

ただ、この作業は夢を見た自分を巫女とすると、起きた自分がその審神者になることでもある。なので、創作物としての出来よりも、いかに審神者に徹するかが大事なのは言うまでもない。

夢日記を書いただけでは勿体ない。ぜひその夢のイメージを検索してみてほしいと想う。ネットは潜在意識を表した蜘蛛の巣のようなものだから、きっと誰かの、何かの意識にアクセスしているし、それは夢の世界と同じことなのだ。

能力のある人は夢を見ただけでわかるんだろうな。でもない人はないなりに、方法はある。続けていくと段々夢で情報を貰えるようになる。夢日記に検索したイメージを載せてブログに書いてくれると嬉しい。他人の夢の話は大抵退屈だけどwイメージが一緒にあればとても興味がそそられる。夢は誰でも見ている。大事なのはその意味を知ること。知ろうとすること。夢の世界を解明することはこの世界を解き明かすことでもあるから。




サンゴ

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